松村徳子さんのリレートークレポート (2010年2月28日)
「戦争と性を考える〜性暴力をなくすために、私ができること〜」
講師の松村徳子さんのプロフイール
奈良県海外派遣でイギリス・スウエーデンへ行かれた1999年は男女共同参画基本法が出来た年でした。1995年“奈良女性史”編さんをした奈良女性史研究会に入会し、有名人でない市井で生きた人たちを掘り起こし聴き取りをする作業をされましたが、女性史にかかわったことで元気をもらえたそうです。4年前夜間中学の仕事をすることになり帰宅が10時になり、夫さんが息子さんの世話、ユニフォームの洗濯、次の朝の米をといで協力してくれたそうです。良かった点は高2の息子の難しい時期に夫と二人で過ごしてもらったことと、目的を同じくしている活動仲間とつながり出会えたことだそうです。今は女性史研究会のほかにイコーリティで活躍されています。
ハルモニ(おばあさん)のこと
韓国の従軍慰安婦のことについて性的暴力を受けてきた人たちが80代になっている。3月末に韓国の施設でくらすハルモニたちを訪ねて交流させてもらう。社会では「慰安婦は商行為だった」否定の発言をする人もいる。実際にハルモニからはそうではないと聞いている。そのことを共有してもらえたら心強い。
DVD“忘れてはならない、絶対に”−彼女たちの物語―から
ビデオは冒頭の発言「たくさんの大きな怪物と60年過ぎても戦っている」から始まる。80代になった女性たちが処女供出ということで前線についていき、地獄の経験について言葉につくせないむごさを語りだす。帰ってきても「慰安婦」だったことを両親にも言えなかったという。平均年齢男女14歳で、戦場での被害者h女性だけでなく女性がいないときには弱い男性にも暴力を与え従わせたという。当事者だけが知っているだけで必ずはっきりさせてみんなに知らさなければいけない。今、ハルモニは95人になった。1992年以来毎週水曜日ソウル日本大使館でデモを行なってきて、2月24日で906回になるという。日本軍「慰安婦」問題の解決を求めるハルモニたちと思いを重ねたい人たちが出会う場になり、それと平和教育の場として豊かな意味を持つ。
奈良RRセンターのこと
1952年「慰安」基地奈良として近鉄尼ヶ辻駅東側セキスイのところに奈良RRセンターがあった。朝鮮戦争帰休兵のための休養施設で歓楽街だったという。500人収容可能レストラン、映画館、ダンスホール、ボーリング場など70軒あり。1年4カ月の間14万人が使用した。5日間で兵士が使うお金が20万円散財したという。全国から良家の女性を守るため女性たち2500人集まった。
話し合ったこと
奈良にRRセンターのあることも封じ込めてきたというくさいものにふたをするやりかたなのかやはり、オープンにしてこんな事実があったことを次の世代に伝えていくべきだと話し合う。また上記のようなことも含めて戦争時の国内外での事実について、戦後の歴史教育が一貫せず、中途半端な反戦教育等を受けた人の中には、日本人として生まれたことを肯定的に捉えられず、自分のアイデンティティが確立できない場合もあるという話もあり教育の正しいあり方を考えていかねばと話し合った。自分の中に社会に対し、どんなまなざしをかけていくのかつきつけられ考えさせられた貴重な時間を共有したひとときでした。
参加者の感想
DVDでわかりやすく伝えてくださりなぜこのような運動、学習にかかわることになったかがよくわかり共感するものがありました。
実際にイベントや訪問に参加されているので、説得のある話でたいへん勉強になりました。
被害者が高齢化している現状を考えると早期に何とかならないでしょうかと思う。奈良にRRセンターがあったことを初めて知り子どものころの記憶とつながりました。
奈良にそれも奈良にRRセンターがあることを知り歴史の重要性を感じました。
今日のお話のタイトルが良かったです。ー性暴力をなくすために私ができることー
これは松村さんの生活そのものかな。松村さんが実際に韓国のナヌムの家のハルモニを訪問、そして彼女らの体験を誠実な態度で接していることが一番のすごい活動かなと思います。
RRセンターのことを初めて聞き驚きました。なぜ口づてに伝わってこなかったのか。口をつぐんでしまったのですね。まだまだ知らないことが一杯あります。私の知らないことを教えてくださってありがとうございました。(さんかく瓦版より)
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